店舗案内

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店舗概要

店舗名   (さすきた)北嶋糀店
店主 北島惠介
住所 〒437-0215
静岡県周智郡森町森205
電話番号 0538-85-2678
営業時間 10時00分~17時00分
(土日祝祭日も営業)
定休日 水曜日
※ 臨時休業する場合があります。

店主御挨拶

北嶋糀店七代目 北島惠介

 日本の食文化の基層をなす醤油・味噌・酢は、無くてはならない調味料ですが、これも糀(麹)という発酵培養に依ってなし得た日本の宝であります。小泉武夫先生が仰る如く麹菌を「国菌」と称え、日本特有の気候風土に最上の棲息分布をすることに、また一千数百年来の恩恵に預かって来たことにも驚き感謝するばかりであります。
 祖先以来縁有って、当店が存続して参りましたのも近隣諸寺社や皆様の御先祖様のお引き立て有っての事と感謝申し上げます。今、個の尊重から、(いえ)生業(なりわい)(わざ)などの継承が難しい中、だからこそ、糀という一場面を受け継ぐ必要性を強く感じ、更には免疫力強力アップ、健康第一の薬膳の基本たる祖業を受け継がんと娘と共に考え、伝統ある遠州の奥座敷たる森町に老舗の暖簾(のれん)を新たにして掲げました。創業二百年の重みに応えるべく、皆様の御来駕を心よりお待ちいたしております。

当店の沿革

北嶋糀屋 由来記

 そもそも小國(おくに)一宮(いちのみや)社は遠江(とおとうみ)第一の鎮守で、その昔出雲(いずも)杵築(きつき)大社の大神様を当國に御迎え致した時、出雲の国造(くにのみやつこ)北嶋(むらじ)は、これに随って遠江國周知(すち)田椀郷(たまりのごう)粟倉(あわぐら)村に勧請(かんじょう)(たてまつ)り、並んで粟倉大明神(だいみょうじん)(まつ)りました。一宮本宮山(ほんぐうさん)を奥宮と称え勅使(ちょくし)参向(さんこう)十二段の舞楽を奉じた言われています。その末裔(まつえい)と言う当所北嶋総本家を養父(やぶ)様と言い、その屋敷を勅使の御座所「王家戸(おうけど)」、又「大城戸(おおきど)」と称し、一宮のお導きの神猿田彦(さるたひこ)をお祀りする白鬚(しらひげ)社を鎮祭しています。
 この大城戸には、勅使井戸があり、今も霊水こんこんと湧き、古来この水で醸造する酒を御神前に捧げてきました。江戸時代、総本家は、北嶋孫左衛門、又権右衛門を家名とし、代々酒造株を持って来ましたが、安永年中に孫分家の北嶋仲右衛門に権利を譲りました。仲右衛門は、森町村外七ヶ村の知行主(ちぎょうしゅ)であった旗本土屋家の代官で、年間酒造米三百二十石(八百俵)を酒造し、一宮は元より秋葉山への御用も相勤めました。そのため、当家の長屋門には、正一位秋葉大権現の格式をもって勅願(ちょくがん)十六弁菊花紋熨斗瓦(のしがわら)を載せることを許されました。後に、酒造は仲右衛門分家枡屋(ますや)北嶋儀七家に引き継がれました。初代仲右衛門の弟北嶋吉右衛門は、粟倉村大垣戸(おおがいと)勅使見干(みほ)し屋敷に、総本家養父(やぶ)の分家である日下部(くさかべ)氏北嶋の家より分かれていましたが、その二代目の次男八代治(やよじ)(後に弥吉)は、仲右衛門方で酒造を習い、ここ森新町に糀屋を開きました。時に天保十三年の四月の事でした。当時の森の街は秋葉山に登る人の笠で道に日が照らぬ程の賑わいで、店の前を大勢の人や荷物が往来したと言われています。
 北嶋糀屋初代弥吉は、天竜川右岸の笠井寺田糀屋から妻を迎え繁盛致しましたが世継ぎがなかったため、本家吉兵衛の長男半兵衛(後に弥吉)を養子とし、新町裏の田圃紺屋(たんぼのこんや)田中氏の娘を嫁として二代目を継承しました。三代目泰市(たいいち)は、糀商に加えて繭問屋を始め、いよいよ家運隆盛致しました。四代目市郎の妻家内喜(やなぎ)は、終戦後の混乱期に家業を興し、五代目省司は、初代の老母の実家笠井糀屋に習い、又笠井も当家においてその技を習い、互いに助け合って古来の技術を引き継いで来ました。省司の後、弟豊が店を守り、遠州一円に北嶋糀店の味を広めました。
 此処に北嶋糀屋は未来の末に至る迄、小國一宮・秋葉山御用の次第において、その技を受け継ぎ、伝統の味を守り残して行くため、本家七代目吉右衛門(きちえもん)神主(かんぬし)重惠(しげさと)(北島惠介)は、両家を壱つにして祖業を継承奉るものであります。

令和三年十一月十二日
粟倉住 吉右衛門神主重惠